09.30
上からノハコ。
今では全く考えられないことであるが、
私は、小さい頃、女の子のように静かな男の子だったようだ。
カラダは小さく、線も細く、「石橋を叩いても壊すまで渡らない」と言われた自分は、
仲間に入れてもらうことはあっても、いつも集団に後ろからついていくばかり。
子供特有の理不尽な遊びになる時があっても、それに自分から歯向かうなんてことはなかった。
唯一、人としゃべらなくてよい運動だけは、ある程度得意だったので、
その時だけ、活き活きと動いているという感じ。
それ以外は、まあ、パッとするわけでもなく。
大嫌いな天敵 “グリンピース” が給食で出た日、
「全部食べないとダメだよ!」
と、同じクラスの好きな女の子にいびられて、
掃除の時間に突入しても、泣きながら食べて(飲み込んで)いたことくらいはかすかに覚えている。
そんな小学校時代。
入学直後に付けられたあだ名が、
「ノハコ」。
(=野原+女のコ(子)の造語。たぶん。)
今でも、小中学校時代の同級生に会うと、
そう呼ばれることが多くて懐かしく感じてしまう。
なぜか、最近、「野原先生」と呼ばれることが増えた。
「ノハコ」と呼ばれたほうが、何気に心地よい気分になってしまうのは不思議だ。
そんなノハコが、先週の金曜日。
朝10時から夕方17時まで、6時間もぶっ続けで話しまくっていた。(昼休憩1時間あり)
それも、蒼々たる税理士・会計士の方々を前に、ワイヤレスマイクを持って檀上から。
ウロウロしながら、1人だけ猛烈に汗かいて。
途中、最近の運動不足により足をつりかけたというアクシデントも隠しつつ。
最前列の席は、きっと砂被り席、ならぬ、”唾被り席” になっていたはずだ。
・・・ホント、スミマセン・・・
数えたら、この2年間で30回以上もセミナーをやらせていただいていたようですが、
今回は、一番、緊張しました。
前日は、会場近くのホテルに宿泊して、直前まで自分で作成した資料と睨めっこ。
明日の場面を妄想し、シミュレーションを何度も何度も繰り返していました。
そんなことしていたら、全然、眠くならない。頭が覚醒してしまったのです。
ホテルに備え付けられていた○○チャンネルにも手を伸ばしかけるという誘惑に駆られてしまったが、
ここで力尽きたら元も子もないじゃないか!!
ということで、自粛。
危うく、前日から、大馬鹿野郎の自分になってしまうところでした。
結局、寝たのか寝ないのか分からずの状態のまま、朝を迎えた。
朝陽がとても気持ち良かった。
まあ、こんなことになったのも、
今回の共催パートナーであるイケメン若社長から、事前にかなりのプレッシャーを受けていたからである。
「野原さん、品質が最重要ですよ。」
「野原さん、皆さん、期待していますよ。」
「野原さん、今回は高額なので○×○×○×○×」(←電話)
といったように、日に日にハードルどんどん上がっていく。
だったら、「もう乗っちまえ~!」とばかりに、
「オレを誰だと思ってんですか。(笑)」と、勢いで反論してみたりする。
その後、隠れて、チマチマ修正する。
こんなことの繰り返し。
さあ、当日。
前触れ通り、参加者の皆さんの目は真剣そのもの。
ものすごい迫力を感じました。
物理的には、上(檀上)からモノを申す形になったが、
ここでの目線は、上も下もない。
すべて、横から。同じ目線で。
雰囲気は、武道ではないけれども、どっぶり格闘している状態に感じた。
自分で勝手に創り出したのに、
もの凄いプレッシャーに、自分は燃える。
もの凄い相手のテンションに、自分が燃える。
そんなに苦しく生きたくないのに、なぜか、それを求めてしまっている自分。。
尊敬する先輩から、以前、
「コンサルタントは言い切らなければならない。」
と、目の前で言われた。
言い切るためには、自信がいる。
だから、自信を持って、今まで自分が経験して実践してきたことを振り返り、
言い切ることができることだけを集大成にした。
でも、まだ、8回分の2回。
気を抜かず、11月までこのプレッシャーを楽しみ、
刺激的なレベルで、初めての方々を含めて多くの親交を深めていきたいと思う。
P.S ちなみに、小学生時代に厳しかった先生は「満里子」という名前だった。
当時、教壇からの「上からマリコ」はメチャクチャ怖かった。




